御由緒・祭神

御由緒・祭神

REASON FOR THE SHRINE

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御由緒

二川八幡神社の創立は、社伝によると第92代伏見天皇の永仁3年乙未(1295年)に遡ります。この年に鎌倉鶴岡八幡宮から勧請され、二川村の産土神として奉斎されました。神社の鎮座地は東海道33番目の宿場町であったため、多くの旅人が行き交い、地域の氏子だけでなく多くの人々からも崇敬を受けるようになりました。

 

特に、毎年8月15日に行われる例祭(現在は10月第2土日に変更)は重要な行事で、湯立て神事が斎行されます。この神事は、特別に公儀から下付された薪を用いて行われ、最も厳粛な儀式とされています。江戸時代には、公儀役人をはじめ、遠近各村から多くの参詣者が訪れ、神社の境内は賑わいを見せました。江戸時代後期からは、神輿渡御や山車、男児による神楽と道囃子が祭りを盛り立て、地域の伝統行事として続いています。

 

安土桃山時代の慶長6年(1601年)2月11日には、伊奈備前守から神領2石目を寄進されるなど、神社の重要性が増しました。その後、明治4年(1871年)には村社に格付けされ、明治14年には幣帛供進神社に指定されました。昭和20年(1945年)3月14日には八幡社から八幡神社に改称され、昭和21年(1946年)1月10日には郷社に昇格しました。さらに、昭和30年(1955年)12月15日には7級社となり、現在も多くの信仰を集めています。

神社の創立は永仁三年(七〇〇年前)
鎌倉鶴ケ岡八幡宮より勧請し
奉ると伝えられる
慶長六年(三九四年前)伊奈備前守
より神領高二石を寄進された
名社であり鎮守地が東海道
二川宿の要衛となるにつれて
諸人の往還頻繁となり公儀
役人を始め遠近各地より崇敬
賓者が夥しかった
例祭には特殊神社として神輿
の渡御に従い氏子中より山車
子供神輿などの供奉があり町
内神賑を極める

神社の創立は永仁三年(七〇〇年前)
鎌倉鶴ケ岡八幡宮より勧請し
奉ると伝えられる
慶長六年(三九四年前)伊奈備前守
より神領高二石を寄進された
名社であり鎮守地が東海道
二川宿の要衛となるにつれて
諸人の往還頻繁となり公儀
役人を始め遠近各地より崇敬
賓者が夥しかった
例祭には特殊神社として神輿
の渡御に従い氏子中より山車
子供神輿などの供奉があり町
内神賑を極める

御祭神

応神天皇

応神天皇(おうじんてんのう)は、日本の第15代天皇であり、誉田別尊(ほんだわけのみこと)とも称されます。応神天皇は、4世紀後半から5世紀前半にかけて在位し、その治世は文化と経済の発展が特徴でした。多くの技術や文化が朝鮮半島から伝わり、日本の古代国家形成に大きく貢献しました。

 

また、応神天皇は八幡神(はちまんしん)としても崇拝され、戦勝の神、武運長久の神として広く信仰されています。特に、武家社会においては篤い崇敬を集め、鎌倉時代には鶴岡八幡宮など、全国に多数の八幡宮が建立されました。

 

応神天皇は、神功皇后(じんぐうこうごう)の息子としても知られ、その母親が行った三韓征伐(さんかんせいばつ)の偉業から、応神天皇もまた神話的な存在として位置付けられています。

二川八幡神社における応神天皇

二川八幡神社では、応神天皇を主祭神として祀り、地域の人々や旅人に崇められています。多くの参拝者が応神天皇の加護を求め、訪れています。神社の祭礼や行事においても、応神天皇への感謝と祈りが捧げられ、地域社会の繁栄と安寧を祈願する場として重要な役割を果たしています。

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